2019年1月14日月曜日

1995年、フィンランド研修旅行の後に建築学科の先生を前に発表した時の原稿です(当時3年生)

「抽象絵画からの光かアル中からのそれか?アールトの光に対する私論」























今日はわざわざ時間を裂いていただきありがとうございます。約15分をかけましてアールトの光に関する独断と偏見による私論、といいますとおおげさですので感想程度に報告させてもらいます。簡単にいきさつを説明しますと、北海道東海大学助教授で、建築史家であり、特にアールトに関して明るい伊藤大介先生が企画した、「北欧建築とインテリアデザイン研究旅行」というものに9月1日から8日までの8日間参加してきました。北欧といいましても、アールトが活躍したフィンランドの真ん中から南よりの大中都市と、元フィンランド領のロシアの一部、ヴィープリが私達の行動範囲でした。8日間に様々な建築作品をみましたが、アールトに関するもので約20ヶ所、一戸一戸の建物を数えればその倍ほども見てまわってきました。 アールトの作品に関して、写真でみたイメージと実際にみた感じがこれほど違う建築家はめずらしいのではないか、また、実際に作品をみたほうが素晴らしい建築家もまれではないかというのがありきたりですが最初の感想です。これはアールトの作品を体験した人は誰でも大抵口をそろえていうことではないかとおもいます。では何が素晴らしいと感じさせるのか。一番強く感じさせた要素は光でした。その光に関していろいろ感じたことを実際の作品を例にあげながら述べていこうとおもいます。 実際に建築作品をみるまで、アールトと、北欧の透明性とは無縁のものとおもっていましたが、それは大きな間違いで、一見無骨にみえる作品の内部に足を踏みいれると透通った光、ロマンティックな光、暖かい光、いろんな光が姿を変えてそこにありました。アールトは内部空間にいる人間のことを第一に考えて設計する建築家ということをこの8日間で実感しました。だんだんみていくうちにその光の使い方にある程度特徴があるように思いました。それは、次にあげる4つのことでした。

1)採光のための窓と景色をみるための窓は区別する 2)採光のための窓は内部空間にいる人の視線を逃がさないように大人の身長 より上、約2m以上の高さに持ってくる。それでも汚いものが見える場合はトップライトによる採光とする。 3)景色をみるための窓は、より美しい景色を切り取る(借景)。広大な景色 はそれを一望できるように、単調な景色は不整形な窓と窓の格子とを対応させて変化を持たせる。 4)光にヒエラルキーを持たせる。(比較的暗いエントランスから、光に満ち あふれた広間に導かれる。陰から陽へ。または、開放的な光のあるエントラ ンスホールから閉鎖的な各部屋に導かれる。陽から陰へ。) アールトの光を一言で言い表すと絵画という言葉が浮かびます。彼が若いころのそれはは写実的であり、後期になっていくにしたがって抽象絵画へと変容していくような気がします。不整形な窓が、実際に彼が描いた抽象絵画を彷彿とさせたのかもしれません。この飛躍しすぎとも思える考えが、アールト本人も考えていたのか、そうでなくても誰かほかに同じ様な考察をしているか調べてみる必要があると思いアールトに関する本をみてみたら、マイレア邸の特集の冒頭に寄せた文の中で、ユバ・パッラスマーは、アールトの作品への絵画的アプローチについて指摘していました。それを引用してみると、構成に関しては、構造理念に基づいた建築的な精巧さを求めているというよりはむしろ絵画的な方法の下に展開されているということができる。 アールトは自注の中で、自らの建築のアプローチと絵画との関連性をはっきり述べているのである。「この建築の形態的コンセプトは、ここに慎重に試みられたような近代絵画との深い関連性の中に、含まれるものである。(・・・中略)おそらく近代絵画は過去の歴史的な、そして虚栄を張る人々の装飾に変わって、個人の経験というものを豊かにする建築という領域に結び付けられた形態世界を我々に伝えてくれるだろう。」アールトは絵画の修行を通じて芸術的思考に良く精通していた。彼は若いときからずっと熱心に絵筆をとっており、また近代絵画に対する評論を著(アラワ)しつづけていたのである。1926年には、フラ・アンジェリコの「胎児告知」という絵における内部空間と外部空間の関係について洞察力に富んだ分析を書いている。彼のエッセイは、住宅に入っていくときの建築的体験に関する初期の現象学的分析である。これはアールトの絵画にたいする強い興味を傍証(ボウショウ)するものであるとともに、彼の形態の構成それ自体も芸術的形態の喚起する感情やイメージの方により強い感心を示していたことを示している。 アールトはちょうど画家がローカルな色や光や影の破片でパッチワークを作るように、モチーフや素材を付加しつづける。全体が全てを律する建築的観念によって統合されるということはない。絵画を構成する多くの要素が一貫した光によって統合されているように、観念と気分と連想の集積は、むしろ繊細な感覚の下に統合されるのである。このデザインは、モダン・ムーブメントの標準的なイメージと、アールト個人の独創、アノニマスでバナーキュラーな伝統とを融合させた深い思考の支配するコラージュなのである。 とありました。

このことから、アールトの建築におけるデザインと絵画との深い関係性が存在したことがわかり、更にそれが窓のデザインにおよんだことも想像に難しくないと思います。 このような考えとは逆に不整形の窓はまったくの偶然によって産み出された可能性も残っています。アールトにアルコール中毒の症状が出ていたというのをものの本でみたことがあるからです。アールトの有名なスケッチの技法に「震えるハンド」というのがあったらしく、これは濃い鉛筆で手を震わせながら、不整形のデザインをしていくという変わった手法らしくのですが、見方を変えると単にアル中で手が勝手に震えたのではないかと推測してしまいます。いつも酒臭い親父さんが手のいくまま気の向くままに鉛筆を走らせたもかもしれません。 または2つがうまく噛み合ってあのようなデザインになったのかも知れません、どちらにしても完成した作品は彼独特の美しい光を持っていることには変わりありません。アールトは天才なのでしょう。 光が重要な要素となる空間構成についてもここでまとめておくことにします。

<アールトの空間構成(原口秀昭氏の著作による)>
a)全体の輪郭は一般に不整形
b)外部空間を囲むL型やコ型の形態を随所に用いる
c)矩形の空間をつなげて斜め方向やS字方向に空間を流動、進展させる
d)構造や形態の規則的反復を極力避ける
e)各部のバランスは、規則性よりも視覚的バランスで決められる

では実際の作品を例に上げて1)から4)までと照らし合わせてみることにします。

<ビープリの図書館・・・・コンペ:1927年 1位入選 建設:1930~1935年> 設計から建設まで長い年月をかけただけあって、至る所に空間を豊かにする 装置で埋められている。光に関しては1)~4)までのすべてを内包している。開放的なエントランスからレベル差をつかって落ち着いて本を読むことのできる閲覧室へと続く。エントランスホールはカーテンウォールによる採光、閲覧室はトップライトによる採光、児童図書室はハイサドライとによる採光。このことによって、外部に視線を逃がすことなく読書に集中できる理 想的な図書館となる。この手法はこの後も繰り返し使われる。

<マイレア邸・・・・・・建設:1937~1939年> 外部、内部とも木を仕上げ材としてふんだんにつかっていることで中にいると内部の自然と外部の自然が調和したり対比したりして落ち着いた暖か味のある空間をつくっている。薄暗いエントランス(小さなトップライトによる採光)から開放的な光のあるリビングルームへレべル差をつかって進んでいく上昇性と流動性のある空間。外部に開けているが、b)の外部空間をL型やコ型の形態で囲んでいるため広さを感じる。 窓から見える景色は格子、ルーバー、または窓際に置かれた植栽などで変化を与えられている

<セイナッツァロの役場・・・コンペ1949年 建設:1950~1952年> 外部空間をコの字の形態で囲んだ空間。人がリラックスするエントランスホ ール、中庭に面した廊下は光を十分取り入れた開放的な空間、それに対して 会議や事務のための部屋は比較的暗く、落ち着いた空間(ちなみに廊下の空 間のヴォリュームが絶妙)。付属の図書館はハイサイドライトによる採光。 そこは白い壁面に木の家具が配された室内をハイサイドライトの光が美しく 満たす。それでいて、外ガ気にならない。(開口の取りかたに脱帽させられる、また、その窓枠と外の針葉樹が呼応している。)

<イマトラの教会・・・・・設計1958年 建設1957~1959年> 外からみると無骨で内部は美しい、あえて例えるならサザエのような形態。採光の仕方がもっともアールトらしい作品の一つ。白い壁面に様々な大きさ、形の穴を開け、室内を照らす。ひとつとして同じ形が無い。その窓1つ1つが絵画のように空間に存在感を表している。窓の外の針葉樹と窓枠が呼応している。

<コエタロ(実験住宅)・・・・設計:1953年 建設:1953~1954年> 母屋はほぼ正方形の平面で、必要諸室をL字型の直行プランに納め、中央に中庭が設けられている。この庭は、建物の外壁がその形状を保ちながら延長された壁で囲まれている。庭を囲む壁には、大きな開口が2つ設けられている。1つは、針葉樹と対比させた縦格子の桟が入った腰から上の窓状のもの。もう1つは壁を完全に切断したエントランス状のもの。それに切り取られた景色が美しい。花、針葉樹、山、そして終わりまで見える川の構図。

<まとめ>
フィンランドの光は確かに透明感があって美しいと感じましたが、その光の美しさがアールトの光の美しさの理由だとしたら、フィンランドは採光の巨匠だらけになっているはずです。 最後のスライドをみてもわかるとおり、アールトはただの平滑(ヘイカツ)な白い壁面にも美しい光のグラデーションを付けています。普通の設計者なら、単なる真っ白い壁面で終わるところをアールトは白い壁面を絵画の域まで持っていくことができるのではないでしょうか。また、普通の設計者が、採光のために開ける普通の窓をアールトは景色を先に述べた手法を使って絵画のレベルまで持っていけるのではないでしょうか。
※<アールトの空間構成>は原口秀昭氏の文章をほぼそのまま転載してしまいました。

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